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岡山地方裁判所 平成4年(ワ)822号 判決

原告

池浦久子

ほか三名

被告

清野忠志

ほか一名

主文

一  被告らは、各自、原告池浦久子に対し、金一三二〇万円、原告川端由志子、原告池浦伸治及び原告池浦恵に対し、各金四四〇万円及びこれに対する平成四年一〇月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告らの、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告池浦久子に対し、金一五〇〇万円、原告川端由志子、原告池浦伸治及び原告池浦恵に対し、各金五〇〇万円及びこれに対する平成四年一〇月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (原告ら)

原告池浦久子は、亡池浦壽則(以下、「亡壽則」という。)の配偶者であり、その他の三名は、七壽則の子である。

2  (本件交通事故)

(一) 発生日時 平成三年六月二六日午後四時ころ

(二) 発生場所 岡山市野田屋町一丁目一一番一九号柳川交差点北西角

(三) 加害車両 被告有限会社寺地住設計(以下、「被告会社」という。)保有の普通貨物自動車

(四) 運転者 被告清野忠志(以下、「被告清野」という。)

(五) 事故態様 亡壽則は、西から東へ自転車を運転し、自転車横断帯を横断中、右自転車の右側面に右方から進行してきた被告清野運転の前記加害車両に衝突され、右自転車は転倒した。

3  (結果)

亡壽則は、本件交通事故により、脳挫傷、外傷性くも膜下出血、左鎖骨骨折の傷害を受け、平成三年六月二六日から同年八月三日まで岡山市立病院に入院、同日から林病院に転院し、平成四年四月二一日、同病院において脳血管障害により死亡した。

4  (責任原因)

(一) 被告清野について

本件交通事故は、亡壽則が青信号により自転車横断帯を進行していたもので、被告清野は歩行者等が全くないことを確認する注意義務があるのに、これを怠り、過失により亡壽則運転の自転車に衝突したのであるから、民法七〇九条により亡壽則の損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告会社について

被告会社は、加害車両を保有し、これを自己のため運行の用に供していたので、自動車損害賠償保障法三条により亡壽則の損害を賠償すべき義務がある。

5  (損害)

(一) 慰謝料 金二六〇〇万円

亡壽則は、本件交通事故により記憶記銘力障害、健忘、失算、失書、失見当、失行、失認及び作話等が認められ、高度な痴呆状態を患つた。

右は、後遺障害等級表第一級の3に該当する。

右症状で、林病院に入院中、平成四年四月二一日、脳血管障害により死亡に至つたものである。

本件交通事故は、亡壽則には全く過失がなく、本件交通事故以後の交渉においても、被告らは保険会社任せにしており、見舞いに来ることも少なく、亡壽則の一〇か月間の病状の精神的苦痛と併せて考えると、慰謝料の額は、金二六〇〇万円を下らない。

(二) 逸失利益 金一〇九一万六四六二円

亡壽則は、平成四年五月から、次の年金を受領することができた。

(1) 日本電気計器検定所厚生年金 五五万五五五五円(年額)

(2) 老齢厚生年金 一四二万二一〇〇円(年額)

よつて、少なくとも、右(1)、(2)の合計金一九七万七六五五円の半分である金九八万八八二七円の利益をなくしたことになる。

亡壽則の平均余命年数は、二四・二九年である。

これによりホフマン係数で現在価を算出すると、金一〇九一万六四六二円となる。

98万8826円×24.29×0.4545=1091万6462円

(三) 弁護士費用 金三〇〇万円

原告らは、原告ら訴訟代理人に本件訴訟の遂行を依頼し、その弁護士費用として右損害合計額の約一割に相当する金三〇〇万円の支払を約した。

よつて、原告らは被告らに対し、本件交通事故に基づく損害賠償として金三九九一万六四六二円の内金三〇〇〇万円について原告池浦久子は金一五〇〇万円、その余の原告は各五〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成四年一〇月二九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は知らない。

2  同2は認める。

3  同3は知らない。

(一) 亡壽則の傷害については、平成三年一二月三一日で症状が固定した旨の後遺障害診断書が作成されているが、同後遺障害診断書記載の後遺障害である「記憶記銘力障害、失見当、失認、失行、健忘等の高度の痴呆状態を認めるとともに、作話傾向、人格変化等の精神症状」は、本件交通事故に基づく直接の症状ではなく、亡壽則が本件交通事故以前から保有していた症状を併せた症状である。

亡壽則の前記後遺障害は後記のとおり、いずれも本件交通事故以前、既に亡壽則が保有していた症状である。

したがつて、亡壽則の後遺障害は、本件交通事故と因果関係がない。

(二) 亡壽則の死亡は、本件交通事故後に発生した脳血管障害に起因するものであり、本件交通事故と相当因果関係はない。

4  同4は争う。

5  同5は知らない。

三  抗弁

(右後遺障害に対する本件交通事故の寄与割合(程度)について)

仮に本件交通事故と後遺障害との間に相当因果関係があるとしても、それは既に存在した症状が本件交通事故により憎悪したにすぎない。

そして、その憎悪の寄与割合は三〇パーセントを超えることはない。

1  亡壽則は、本件交通事故以前にすでにアルコール依存症で脳動脈硬化症を患い、多発性脳梗塞の疑いがあつた。

脳動脈硬化症の診断基準として記憶力減退があげられており、また、主な臨床症候群として、痴呆、脳神経麻痺等があげられているので、前記後遺障害の症状である記憶記銘力障害、痴呆状態は、既に本件交通事故以前に存在していたことになる。

2(一)  亡壽則には、本件交通事故前にも、次の症状が存在していた。

(1) 三〇歳ころ、胃潰瘍で胃全摘がなされたこと。

(2) 昭和五八年ころ、酒量が増加したこと。

(3) 仁風荘病院、慈圭病院等へアルコール依存症で入退院を繰り返したこと。

(4) 林病院へ入退院を繰り返しながら、若干痴呆を認め、デイケア(外来でのリハビリテーシヨン)をしていたこと。

(二)  本件交通事故後の平成三年八月三日の入院時にビタミンB1が低値でウエルニツケ(Wernicke)脳症と判断され、ビタミン剤が点滴投与され、精神症状に対して亢精神薬、脳代謝賦活剤で対応された結果、意識障害が改善したが、コルサコフ症候群を残したこと、その後、ビタミン剤を経口投与に切り替え、状態が安定したことが認められる。

(三)  ウエルニツケ症候群は、慢性アルコール中毒の病型であり、それ以外に慢性胃炎、栄養障害、胃切除後などにも発現し、ビタミンB1の欠乏症が共通原因とされている。

右ウエルニツケ症候群の症状原因は、亡壽則の本件交通事故前の前記(一)及び(二)の症状と全く一致する。

すなわち、亡壽則の本件交通事故後の症状も本件交通事故と相当因果関係はない。

四  抗弁に対する認否

抗弁は争う。

亡壽則は、平成三年一二月三一日付で頭部外傷後遺症の認定を受けているが、右後遺症は、本件交通事故に基づくものである。

亡壽則は、平成三年六月二六日、本件交通事故に遭遇し、その結果、見当識障害・記銘力障害・尿失禁・異常行動等をなした。

本件交通事故により脳挫傷・外傷性くも膜下出血により脳欠陥障害を起こしていることは明白である。

亡壽則は、本件交通事故前においては、日常の買い物、炊事、家事作業は一般の人と異ならない状態でできており、また、自転車を運転して通勤することもできていた。

したがつて、前記後遺症は、本件交通事故により生じ、しかもその障害の程度から考慮して一〇〇パーセント本件交通事故に基づくものである。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因1(原告ら)は、証拠(甲三、四)により認められる。

二  請求原因2(本件交通事故)は当事者間に争いがない。

三  請求原因3(結果)について

証拠(甲二、三、五、一一、一三ないし一八、一九の1ないし5、乙一ないし一七、一八の1ないし12、一九、二〇の1ないし15、二一の1ないし100、二二の1ないし17、鑑定の結果、証人今村高暢、証人藤原敬、原告池浦久子本人)によれば、次の事実が認められる。

1  亡壽則は、本件交通事故により、脳挫傷、外傷性くも膜下出血、左鎖骨々折の傷害を負い、本件交通事故の日(平成三年六月二六日)から同年八月三日まで総合病院岡山市立市民病院(岡山市天瀬六番一〇号所在)(以下、市民病院」という。)で入院治療を受けた。

亡壽則は、見当識障害、記銘力障害、尿失禁、異常行動等が続いたため、一般病棟での管理が難しくなり、脳外科的治療が終了した平成三年八月三日、本件交通事故以前において断酒の指導を受け、入院歴もあつた財団法人林精神医学研究所附属林道倫精神科神経科病院(岡山市浜四七二所在)(以下、「林病院」という。)に転院した。

2  亡壽則は、平成三年一二月三一日、症状固定の診断を受けたが、その際の亡壽則の症状は、記憶・記銘力障害、失見当、失認、失行、健忘等の高度の痴呆状態を認めるとともに、昨話傾向、人格変化等の精神症状が認められている。

亡壽則は、症状固定時、通常の日常身辺動作は著しく障害されており、絶えず、適当な介護を要する状態であつた(以下、「本件後遺障害」という。)。

3  亡壽則は、平成四年二月、嚥下性肺炎を起こしたのを契機に急速に痴呆も進行し、全身状態も悪化して、寝たきり状態となり、同年四月二一日、入院していた林病院において、急性の脳血管障害により死亡した。

4  亡壽則は、本件交通事故以前に、林病院において、アルコール依存症、肝障碍(昭和六二年一月七日)、高血圧(平成元年二月一五日〔血圧一八〇―六〇〕、同年四月一五日〔一五〇―七二〕)、脳動脈硬化症、多発性脳梗塞の疑い(平成二年二月二八日)とそれぞれ診断を受け、治療を受けたことがあり、脳萎縮及び軽度痴呆症状も見られた。

右脳動脈硬化症、脳萎縮及び高血圧の症状を持つ者は、脳血管障害を非常に起こしやすく、また、通常脳血管障害は、一〇か月以前の外傷による脳挫傷、頭蓋内出血が原因となることはない。

5  本件後遺障害は、本件交通事故以前から亡壽則にあつた脳血管障害及び本件交通事故後に発生したウエルニツケ脳症が関与しているが、本件交通事故がなければ、本件後遺障害が本件の時点でのように急激に発生することはなかつたものであり(本件後遺障害と同様の症状が出るとしても徐々に進行していくものであり、また、必ず同様の症状が発生するとまでは言えない。)、また、本件後遺障害が外傷性後遺症として発生する可能性もある。

亡壽則は、本件交通事故以前においては、単身生活を送つており、右生活において特段介護を要する状態などではなく、仕事もできる状態であつた。

右の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

右に認定の事実によれば、亡壽則の本件後遺障害には、亡壽則の本件交通事故以前の既往症状(亡壽則の素因)が影響を及ぼしたものと考えられるが、本件交通事故がなければ発生しなかつたものと言えるから因果関係があり、また、本件交通事故と本件後遺障害との間には相当因果関係を認めることができると言うべきである。

そして、亡壽則の死亡については、右死亡が本件交通事故から約一〇か月経過した後に起こつており、本件交通事故による亡壽則の頭部の負傷は、既に治癒していたものであり、右死亡が嚥下性肺炎に端を発して全身状態が悪化した後、急性の脳血管障害により生じていることからして、亡壽則の死亡と本件交通事故との間の因果関係は認めるには至らないと言うべきである。

四  請求原因4(責任原因)について

前記争いのない請求原因2(本件交通事故)の事故態様及び証拠(甲八、九)によれば、本件交通事故は、被告清野の、横断歩道と併設されている自転車横断帯を自転車に乗つて横断中の亡壽則の発見が遅れた(前方注視義務違反)過失により発生したことが認められるから、被告清野は民法七〇九条により、亡壽則の損害を賠償すべき義務がある。

また、証拠(甲九、弁論の全趣旨)によれば、被告会社は加害車両を保有し、これを自己のため運行の用に供していたことが認められるから、被告会社は自動車損害賠償保障法三条により、亡壽則の損害を賠償すべき義務がある。

五  請求原因5(損害)について

1  慰謝料 二四〇〇万円

前記認定の本件後遺障害の程度からすれば、亡壽則の慰謝料は、二四〇〇万円が相当である。

2  逸失利益

前記認定のとおり、本件交通事故と亡壽則の死亡との間に相当因果関係を認めることはできないから、逸失利益の主張は理由がない。

3  弁護士費用 二四〇万円

本件における弁護士費用は、総額二四〇万円が相当である。

4  以上を合計すると二六四〇万円となる。

六  以上によれば、原告池浦久子は亡壽則の妻として、前記二六四〇万円の二分の一である一三二〇万円、その余の原告三名は亡壽則の子として前記二六四〇万円の各六分の一である各四四〇万円の損害賠償請求権を相続した。

七  抗弁

前記認定の事実によれば、亡壽則の本件後遺障害については、亡壽則の本件交通事故とは無関係の体質的素因が影響を及ぼしていることは認められるところであるが、本件交通事故がなければ本件後遺障害は発生しなかつたものであり(将来必ず亡壽則に本件後遺障害と同様の症状が発生することは認めることができない。)、本件交通事故以前において亡壽則は、日常生活を単身で送つていたことを考慮すれば、右亡壽則の体質的素因を理由に前記損害賠償額を減額することは相当ではないというべきである。

右のとおりであり、抗弁は理由がない。

八  よつて、原告らの請求は、原告池浦久子について金一三二〇万円、その余の原告について各金四四〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成四年一〇月二九日(当裁判所に顕著である。)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右限度で認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言について同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉波佳希)

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